岡崎城跡の南側に位置する乙川(菅生川)沿いに、約370年前に築かれた長さ約400メートルにわたる直線的な石垣が確認された。数多く残る岡崎城絵図や地表の一部露出で、「菅生川端石垣」とされるこの石垣の現存は推定されていたが、途切れのない一続きの石垣としては、国内で最長になることが判明した。(今井亮)
菅生川端石垣の現存をはじめ、攻め入る敵の側面を弓矢や鉄砲で狙う「横矢掛」(横矢枡形)と呼ばれる枡型の突出部分が3カ所設けられた造りなど、絵図に基づいたさまざまな推定が裏付けられた。城郭研究の第一人者で、広島大学大学院の三浦正幸教授=日本建築・城郭史=は「通常は1カ所の横矢枡形が3カ所あるのは石垣の巨大さを物語っている」とし、「同じ石垣を現代で築こうとすれば10億円は要する。戦のない泰平の世でも、江戸幕府の権威を示す象徴。川に対して堤防の役割も兼ねていた」と分析する。
同市は昨年末と今年3月11日に試掘調査を実施。土砂の堆積で地中に埋まっていた部分を含め、石垣の高さが5メートル前後であることも分かった。石の積み方は、接合部を加工して積み石同士の隙間を減らす「打込接(うちこみはぎ)」と周辺の石を積み重ねた「野面積(のづらづみ)」が入り組んでいる。見栄えの加工として、一部の積み石には表面をノミで縦に削る「すだれ仕上げ」が施されている。
菅生川端石垣は、岡崎城の三代城主・本多忠利が寛永年間(1624〜1643年)に築造を始め、正保元(1644)年までに完成したとされる。
市は乙川リバーフロント地区整備計画の乙川河川敷園路整備工事に合わせて調査。将来的に文化財指定も視野に入れるという。16日午後2時から三浦教授の現地説明会があり、同4時まで菅生川端石垣を一般公開する。事前申し込み不要。