花乃湯は国道1号をやや北上した伝馬通り沿いにひっそりとたたずむ。入り口付近は伸び切った樹木で覆われているが、この地で70年以上「まちの風呂屋」として親しまれてきた。60年間携わってきた経営者の山本廣子さん(78)は「今は赤字で“奉仕”の状態。内部の老朽化も目立つし、潮時かなと思って閉店を決めた」と理由を語る。
花乃湯は、廣子さんの父・岩三郎さん(故人)が昭和18(1943)年ごろに買い取ったという。もともとは洋食屋を営んでいたが、太平洋戦争で日本の戦況が悪化する中でコメの入手が困難に。戦死などにより隣り合う銭湯が後継者不足となり、買い取ることになった。戦争で焼けてしまい「まるで掘っ立て小屋」だった風呂屋を30年に建て替え、現在に至っている。
最も需要があったのは30〜35年ごろ。男女の各脱衣所には40ずつの脱衣箱があるが、それが全て埋まり、外で待ちが出るほどだった。住宅の建て替えで自宅の風呂が使えない人や、付近に住む石工職人とその見習いたちも多く利用した。一時は岡崎市と幸田町だけでも30軒以上の銭湯があり、近い所では200メートル間隔だったという。「昔は20日が定休日と決められていた。だから結婚式を挙げるのも20日しかなかった」と廣子さん。
岩三郎さんが59年に他界し、その後は妻みよ志さん(平成10年に他界)が、銭湯を切り盛りすることになった。各自宅で風呂が完備され、食事もできる「スーパー銭湯」の出現などにより、徐々に利用者が減少。現在では、1日平均20〜30人。雨天時は12、3人という。燃料(重油)の高騰や浴槽のタイルなどの傷みもあり、廣子さんは今年8月に10月いっぱいでの閉店を決めた。「福祉系施設では100円で風呂に入れるところもあると聞く。お金をかけて修繕しても今の状態だったら経営は厳しいまま。『できる限り続けて』という母たちの遺志を引き継いでやってきたけれど、そろそろ限界」と静かに語る。閉店後は建物を取り壊して、駐車場にする予定だ。
男湯、女湯とも3種類ずつ。通常の「白湯」、電気風呂、ジェットバスの「ハイドロマッサー」。料金は中学生以上380円と安価。壁のタイル画は橋の絵が描かれているが「どこの橋かは分からない」(廣子さん)。男女の境目は高い吹き抜け状になっている。廣子さんらは営業時間終了後、掃除をするついでに入浴することもある。燃料もかつては、おがくずだったが、廃油、重油に変化していった。今は、窯場にあるボイラーのボタン1つで湯が沸かせる仕組みになっている。「名鉄バスの営業所に廃油を取りに行っていたころが懐かしい」と振り返る。
営業時間は午後5〜9時。毎日来る常連客は数人。風呂場や脱衣所では「久しぶり」「きょうは早いね」などの声が飛び交い、時には男湯と女湯の壁を隔てて「あなた、先に出るからね」という声も聞こえる。「寂しいけれど時代の流れ」と閉店を惜しむ声もあるほか、番台に座る廣子さんらに「ここに置いてあるクマの木彫り、もらってもいい?」と、銭湯内の備品を記念にねだる客もいる。やや深めの白湯、時折出が悪くなるシャワー…レトロな銭湯という一言で片づけてしまうには惜しい情緒ある1つの大衆浴場が間もなくその役目を終えようとしている。