岡崎市内の中学校で8日、卒業式が行われ、3651人(男子1859人、女子1792人)が3年間の貴重な思い出を胸に、それぞれの進路に向かって巣立っていった。(岩月健)
城北中学校では、被災地の福島県いわき市磐崎中学校から昨年4月1日に転入学してきた小松巧君が、晴れ晴れとした表情で酒井久男校長から卒業証書を受け取った。
震災のあった3.11は磐崎中学校の卒業式で、小松君は午後、自宅で友人と遊んでいた。地震の様子を小松君は「あまりにも激しく揺れたため、家はぎしぎしと音をたて、壁にヒビが入り、食器戸棚の戸が開き、食器が床に落ちて割れ、本棚はそのまま前に倒れた」と卒業文集に書いている。そして、東京電力福島第一原発の水素爆発を目の前で見た父親の肇さんの判断で、父と高校生の兄・寛さんを残して岡崎市連尺通3の母親・恵利子さんの実家に避難した。
城北中では3年2組の一員になった。担任の竹内のり子教諭は「中三という難しい時期で心配しましたが、適応力があり積極的に溶け込んでくれました」と1年を振り返った。
幼稚園からサッカーを続けてきた小松君。城北中にはサッカー部がなかったので地元のクラブチーム「リバーサイドFC育成」に所属。クラブの監督の紹介で愛工大名電高の練習に参加することができた。文集には「熱意のある指導者2人に出会い、僕は急激に技を磨くことができた。高校では、何事も一生懸命に取り組み必ず国立競技場に行きます」と夢を描いている。
進路は夢を実現するために名古屋市の愛工大名電高進学を迷いなく決めた。
卒業式を終えた小松君は「これまで見守ってくれた人たちに感謝の気持ちで、返事や動作をしっかりやりました。国立出場という夢に向かって努力します」と決意を述べた。