東海愛知新聞バックナンバー

 3月11日【金】

■江戸期の庶民の暮らし生き生き

ペン画家柄沢さん
「塩の道」描く第1弾 屏風図「岡崎城下」完成

岡崎市中岡崎町のペン画家・柄沢照文さん(62)が、屏風(びょうぶ)図「岡崎城下」を完成させた。「私のライフワーク」という「塩の道」シリーズの第1弾。縦1.7メートル、横4.8メートルの大画面に、城下を行き来する旅人や庶民が生き生きと描かれている。「江戸時代の庶民の暮らしを描きたい」と、資料を調べながら3年がかりで描いた労作だ。(大津一夫)

柄沢さんは30年ほど前、「岡崎を外から見てみよう」と、塩の道と呼ばれた飯田街道の矢作川河口から長野県下伊那地方を巡った。「江戸時代は人と文化の交流が盛んだった。飯田街道沿いで岡崎を語る人が多い」ことを知り、街道沿いを屏風図にする構想を思い立った。

平成20年から下図に取り掛かったものの、「農民や庶民は何を着ていたのか」「往来は右側通行か左側通行か」など次々に疑問が浮かんだ。

大学教授や郷土史家に聞いたり、文献を調べたりして確認。絵筆を握りながら文献を読むことに熱中して、描くのを中断してしまったこともあった。「文献は江戸が中心。地方の風俗については分からないことが多い。今後の課題」という。

2年目になってようやく下絵を描き、昨年はアクリル絵の具で着色。早春の城下町をイメージし、桜が咲き、雲には金箔(きんぱく)を張った。

画面の西は矢作橋のたもと、東は現在の伝馬通3丁目まで。岡崎城の「外堀」沿いには商いをする店が軒を連ね、かごを担いだ男性や商人たちが行き交う。画面の下には乙川が流れ、土場で荷物を積み降ろしする人たちが描かれている。登場人物は1000人を超える。

完成した屏風図「岡崎城下」は、豊田市足助町内で開かれた「中馬のおひなさん」の期間中、柄沢さんが借りた民家に展示され、観光客の人気を集めた。

柄沢さんの構想では、矢作川河口の碧南市と吉良町から、西尾市の川船、岡崎市を通って豊田市の松平、挙母城、足助、稲武、さらに長野県飯田までを13枚の絵で描く。また塩の道とは別に、岡崎の「二十七曲り」も描いてみたいという。

「塩の道を通じて町と町がつながり、人と文化の交流があったことを知ってほしい。今描いておかないと、こうした歴史を伝える人がいなくなってしまう」と柄沢さん。すべてが完成した際には、ゆかりの町で巡回展を開くことにしている。


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