東海愛知新聞バックナンバー

 8月13日【金】

浄瑠璃姫道中

岡崎 国1矢作橋下り線
みこしで渡り初め
工事完了後の10月31日

矢作川に架かる矢作橋(国道1号)で結ばれる岡崎市矢作東、連尺両学区の住民が、橋の架け替え工事が行われている下り線の開通を記念し、矢作地区に伝わる浄瑠璃姫と源義経の悲恋物語にちなんだ渡り初め「浄瑠璃姫道中」を計画している。子どもたちがみこし行列で渡り、物語を生まれ変わる橋と矢作地区の象徴にしたい、という狙いだ。(今井亮)

計画では、下り線開通前の十月三十一日の午前十時から、橋(矢作口)のたもとにある矢作神社で神事を行う。連尺小の鼓笛隊を先頭に、同市図書館交流プラザ(りぶら)に展示されている義経と浄瑠璃姫の文楽人形(高さ約一・五メートル)を載せたみこし二台を、矢作東小の児童六十四人がかついで長さ約三百メートルの橋を練り歩く。

岡崎市史には、矢作を統治していた藤原季兼が、矢作神社で祈願した源八幡太郎義家に三河武士団を貸し与えた記述があることから、NPO団体による三河武士団の甲冑(かっちゅう)列が義経のみこしに続く。浄瑠璃姫のみこしの後続は、浄瑠璃姫をイメージした装束や振り袖を着た侍従姿の矢作東小六年の女児十五人が固める。住民らも加わり、橋を渡って岡崎城下に入るという設定で、矢作口から城方面の八帖口に向かう。

両学区では渡り初めの企画に当たり、「矢作地区の歴史と文化を示すものを」と共同で実行委員会を設立。衣装提供や着付け、化粧は岡崎呉服協同組合が全面協力する。

連尺学区総代会副会長の加藤善啓さんは「橋を渡ることをきっかけにして、矢作地区の文化と歴史である悲恋物語が広まってほしい」と話している。

■浄瑠璃姫伝説 物語の舞台は約八百年前の矢作。兼高長者夫妻の娘浄瑠璃姫は、都での修行から東国に向かう道中だった義経と出会い、恋に落ちる。数日の滞在ののち矢作を離れた義経は、平家追討のため、再び都に向かう途中で矢作を訪れるが、姫は義経への募る思いから、菅生川に身を投げた後だった。


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