昭和34(1959)年9月26日夜、伊勢湾台風が東海地方を襲い、体験した人々の記憶に深く刻まれた。当時の県立岡崎高校2年生たちは、翌々日の28日に中国・四国地方への修学旅行に出発する予定だったが、取りやめになった。50年の時を経て今月27日、当時の“生徒”たちが「幻の修学旅行」を取り戻す旅に立つ。幹事たちは「青春時代に帰って若さを再び」と言う。
「久しぶりの再会の場になるでしょう」と、幹事の1人で元高校教師の山村博偉さん(66)=岡崎市上六名3。「これからの人生に元気をもらってきます」と、同じく幹事の元岡崎市助役、眞木宏哉さん(67)=同市宮崎町。
当時の2年生333人のうち男性25人、女性12人が参加、担任教師の1人だった村井憲明さん=安城市=が“引率”する。27日午前8時、名鉄東岡崎駅南口をバスで出発。山口県の秋芳洞と秋吉台、広島県の厳島神社、平和公園などを見学し、29日夜帰着する。
旅行の発案者は横浜市在住の経営コンサルタント、藤田訓弘さん。同窓会に出席したり、第13回卒業生同期会や「還暦記念の会」を開いたりした強いきずなが土台になり、半年で具体化した。
山村さんと眞木さんは卒業アルバムを広げ、50年前をたぐり寄せる。「校舎の瓦が吹き飛び、壁は落ち、校庭の大木が何本も倒れた」「屋根に上って後片付けもしたよ」。山村さんは「旅行の前日、停電のなかローソクの明かりで本を読んだ」。眞木さんは「下宿先の家の雨戸が破られ、ずぶぬれで長靴を履いていた」と語る。
ところが実際には翌年の3月、2年生は中国・四国地方への修学旅行に行ったという。「でも、覚えていない」と2人。「台風とその後に気がいってしまったからか」と眞木さん。「僕らの修学旅行は、もうないんだと思っていた」と山村さん。記憶が台風後のエアポケットに埋もれてしまったのだろうと話す。
それだけに旅行への思いは強い。山村さんは「準備をしてきて同期生の交友関係が広がっていった」、眞木さんは「青春よ再び! ですよ」と顔をほころばせた。
伊勢湾台風 昭和34年9月26日午後6時すぎ、和歌山県潮岬西に上陸して北上、大きな被害が出た。愛知県内の死者・行方不明者は約5,000人。岡崎市内は死者27人、負傷者128人、家屋の全半壊は2,489戸(旧額田町内は死者2人、負傷者2人、家屋全半壊210戸)だった。