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東海愛知新聞

岡崎空襲から79年 犠牲者をしのぶ

平和祈念式と市民慰霊祭

1945(昭和20)年7月19日から20日未明にかけて岡崎の町を襲った空襲で約280人が犠牲になった「岡崎空襲」から、きょう20日で79年。19日には岡崎市内で市や市民団体主催の追悼行事が開かれた。参列した市民らが献花や黙とうをささげ、戦争の犠牲者をしのび平和を祈った。(酒井希実)

同市図書館交流プラザ(りぶら)ホールで行われた市主催の「平和祈念式」には、岡崎空襲を含む戦没者の遺族ら約80人が参列。中根康浩市長は「誰かの得になることが誰かの損になることが多い時代にあって、誰の損にもならない、全ての人の願いが平和」、岡崎市遺族連合会の木俣正俊会長(83)は「こんにちの平和で豊かな生活も、国を思い、家族を思い、永遠の平和を強く願いながら散華されたみ霊の尊い犠牲の上にあることを忘れてはならない」などとそれぞれ述べた。

また、岡崎女子大学(同市中町)の学生が平和への誓いの言葉を述べ、ピースあいち(名古屋市名東区)の語り部の加藤照さんが自身の体験などについて講演した。

岡崎市康生通西2の岡崎シビコ西広場にある慰霊碑の前では、岡崎空襲を記録する会(杉田隆志会長)主催の「第48回市民慰霊祭」が開かれ、市民ら約40人が参列。同市の大高意具よしともさん(90)が岡崎空襲の体験を語った。

当時連尺国民学校(現連尺小学校)5年生だった大高さんは空襲直後、家族7人で岡崎公園内を逃げ回った。「火の海」だった名鉄東岡崎駅付近や「火の玉がたくさん流れて」いく川を目の当たりにした。「暑さと息苦しさでたまらんかった」という駅前の防空壕で夜を明かし、外に出て自宅の方向を見ると真っ赤に燃えていた―などと回顧して「戦争の被害を受けるのは子どもたち。世界中の戦争に心が痛む。なんとか平和になってくれないか」と思いを込めた。

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