東海愛知新聞バックナンバー

 3月11日【金】

あれから5年

岡崎・幸田 避難者と支援者の今
“地元”から子どもたち招待 岡崎の小松さん

「あの日の揺れは忘れない」

震災後、福島県いわき市から故郷・岡崎市に息子3人と避難してきた小松恵利子さん(46)は振り返る。東京電力福島第一原発から50キロ南に住んでいた家族は放射性物質による内部被ばくを心配し、発災4日後の3月15日にいわきを後にした。家族は全員無事。夫肇さん(49)はすぐにいわきに戻った。

恵利子さんは「子どもたちの生活が落ち着くまでは」と被災者の立場を貫いたが、平成24年6月に放射能の勉強会に参加していたママ友たちと福島県の子どもたちを愛知県に招待し、外で遊ぶ保養プロジェクトを立ち上げた。春と夏の2回開催。スポーツや花見、川遊びなどを通して交流を深めている。

現在は岡崎市内で3男薫君(16)と暮らす。市内の震災避難者(3月9日現在19世帯)の支援にも当たる。いわきには年に何度か帰省、いずれは戻る予定。「岡崎では人のつながりを感じた。心から感謝。3.11はエネルギー政策を考える上で視点を変えるきっかけになったと思う」と話す。

幸田・都築さん 被災地の位牌、仏壇を修繕

幸田町大草の都築仏壇店都築数明さん(44)は、被災者の位牌を修繕するボランティア活動を行ってきた。

地震発生から3カ月後に訪問した宮城県気仙沼市で、道路に並べられた持ち主不明の位牌や、公共施設などで傷んだ位牌を受け取る被災者の姿を見て衝撃を受けたのがきっかけ。「地域に根付く仏壇店の仕事を奪うことになるのではないか」と懸念したが、被災地から戻って2週間ほどで位牌が届いた。これまでに位牌128柱と仏壇5本を修繕した。

「それまで位牌や仏壇を商品としか見ていなかった。位牌の持ち主の『ありがたかった』という言葉を聞き、心のよりどころとなる大切な物だと勉強させてもらった」と振り返る。

震災から5年がたち、位牌の修繕依頼はほとんどない。現在は仏壇を1基修繕している。

「被災地の皆さんが自分の足で進まなければいけない時期に差し掛かっている。東北産の漆を扱っているので、今後は友人やビジネスパートナーといった対等の立場で付き合っていきたい」