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 4月7日【木】

■宮城県の被災地から 工藤君、愛宕小に転入

岡崎「地域の一員」学区で支える

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県多賀城市から岡崎市に一家で避難してきた小学5年の工藤清龍君(10)が6日、同市内の小学校でこの日行われた入学式と始業式に合わせて愛宕小学校に転入し、在校生の仲間入りをした。

清龍君は父・辰也さん(39)と一緒に初登校。体育館での始業式で紹介された後、5年生の学級で同級生と早くも打ち解けた。卒業生の保護者からは、使わなくなった体操着や衣類などの“差し入れ”があった。

震災のショックを感じさせないかのように振る舞う清龍君は「友達もできたと思う。体を動かすことが好きだから、体育の授業でサッカーなどを頑張りたい。学校生活が楽しみ」と期待を膨らませた。

小学校にいた清龍君を除く辰也さん、妻(34)、長女(10)、10カ月の次女の一家は、買い物先の多賀城市内のデパートで地震に遭った。「大人も立っていられない縦揺れでした」(辰也さん)。自宅アパートに戻ると、部屋の天井には亀裂が入り、家具は倒れてめちゃくちゃ。アパートの数100メートル手前まで津波が迫ったが、アパートの立つ高台が幸いし、津波の被害を免れた。

辰也さんは、目の前で車や建物を飲み込んでいく津波を、「ありえなかった。(津波の)次元が違った」と振り返る。取るものも取りあえず急いで清龍君を迎えに行った一家は、満員だった避難所を諦め、車内で2泊3日を過ごした。

携帯電話でかろうじて、岡崎市内に住む清龍君の祖母と連絡が取れたのは13日。翌朝、岡崎を目指して出発した。燃料は、ガソリンスタンドの列に10時間並ぶなどしてぎりぎり確保。福島第一原発の周囲を避けて日本海側から山形県を抜け、2日間かけてたどり着いた。

一家は、先月18日から特定公共賃貸住宅(伊賀町)に入居している。水道、電気、ガスが使えることに、辰也さんは「当たり前のことが、これほどうれしいと思ったことは今までありません」とかみしめる。一方で、先行きの見えない今後の生活に「兆しがまるで見えません」と声を落とす。

同住宅がある愛宕学区総代会では「一軒一合」として、住民らが米をはじめ、洗剤などの生活物資を一家のために持ち寄った。彦坂圭佑総代会長と伊藤雅巳総代副会長は「地域の一員として仲良くし、住民全員で支えていきたい」と口をそろえる。

清龍君の初登校を見守った辰也さんはこの日、深夜バスで再び多賀城市に出発した。3月11日以来、見ていない自宅アパートから「写真など子どもの思い出だけでも回収したい」という。

帰りの交通手段については「いざとなったら、物資を輸送してきた愛知県ナンバーの車に乗せてもらうなどします。1〜2週間で戻れれば」と話した。(今井亮)


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