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東海愛知新聞

三菱自動車岡崎ドラフト指名

2選手 岡崎出身・齋藤捕手は横浜 新天地へ拍手で送る

プロ野球ドラフト会議が行われた17日、岡崎市橋目町の三菱自動車岡崎工場は明るい雰囲気に包まれた。硬式野球部の竹原直隆外野手(24)が4巡目でロッテに、岡崎市生まれの齋藤俊雄捕手(20)が10巡目で横浜に、それぞれ指名された。
 午後4時。スーツ姿で記者会見場に現れた2人を、チームメートや社員約70人が大きな拍手で迎えた。
 会見で、竹原選手は「1年目からレギュラーに定着できるように」、齋藤選手は「早く1軍に入って新人王を目指したい」と、それぞれ抱負を語った。
 会社の不祥事を受けて五月から活動を自粛し、年内の公式戦出場も辞退。この半年間、選手は勤務後や休日に大府市内の自社グラウンドで自主練習をしてきた。
 会見に同席した硬式野球部の増田勝部長は「練習を見ていて熱いものを感じていた。今回、明るい話題を提供でき、(選手には)ありがとうと言いたい」、また川口朋康監督も「指名されてホッとした」と胸の内を明かした。
 30人の部員のうち、13人が他の社会人チームに移籍するなか、プロ入りを目標にしてきた2人。実戦から遠ざかっていたが、「入団してからが勝負、やっていけます」と語気を強めた。


 竹原選手は岡山・関西高校から城西大へ。身長183cm、体重88kg、左投げ右打ち。チームで4番を打っていた。
 齋藤選手は身長180cm、体重84kg、右投げ右打ち。岡崎市羽根小学校4年から羽根ファイターズでソフトボールを始めた。当時から捕手。同市南中学校から豊田大谷高校へ進み、2年夏の地区大会でベスト8。高校時代、通算47本塁打を放った。遠投115Mの強肩強打の大型捕手。昨年の都市対抗野球大会で一試合に出場した。
1軍の活躍見たい
 岡崎市羽根町の齋藤選手の実家では、会社員の父親雅彦さん(46)が有給を取り、ケーブルテレビでドラフトの中継を見ていた。横浜の指名は予想通りで、雅彦さんは「できるだけ早く1軍で活躍してほしい」、母親の敏子さんは「どこへ行っても甘いものではない。要は努力。多くの人の声を聞いて頑張ってほしい」と話した。
 応接間には数々の盾やメダルと、祖父の二三さんが作った棚にホームランの記念ボールが32個。高校と横浜の先輩、古木克明外野手が高校時代に使っていた金属バットも。サインの横に「としおくんへ」と書き添えられた大切な“お宝”だ。
 活動自粛の半年間、「手を抜かずに体を作っておけよ」とアドバイスしてきた父親。弟聡志君も兄と同じように捕手で、今年、南中から豊田大谷高へ進み、妹綾美さんは安城学園高3年生で、ソフトボール部のエースだった。
 「近々、親戚や恩師を招いて食事会をしたいと計画しています」と雅彦さん。一家はこの夜、次々にかかってくるお祝いの電話の応対に忙しかった。
彼は優しい子だった
 「感謝の気持ちを忘れずに、今から目標に向かって頑張ってほしい」。齋藤選手の岡崎南中学野球部の3年間を指導した安藤眞樹先生(36)=岡崎市福岡中学教諭=は、こうエールを贈る。
 「1年秋の新人戦から彼を4番に抜てきした」。大きな大会の県大会すべてに優勝、3年夏の中部日本地区選抜中学校野球大会で栄冠を手にした。
 思い出は3年春の県大会。名古屋のクラブチームと対戦し、「彼に打順が回ってきた。(相手は長打を警戒していたから)スクイズをさせた。これが決まり一気に逆転し、勝った」。
 安藤先生の脳裏に残る「彼」は、チームの要であり、級長や生徒会役員を務めた「人に信頼される優しさ」。指名後、携帯電話に報告してきた教え子を、これからも温かく見守っていく。
 ▼三菱自動車岡崎 谷佳知外野手、山口和男投手(ともにオリックス)や福川将和捕手(ヤクルト)らをプロ球界に送り出した。3年前には都市対抗野球で準優勝、昨年は同大会ベスト4。移籍で抜けた穴はOBやコーチで補充して、チームを立て直すという。

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