郷土の偉人たたえる
岡崎 志賀重昴百回忌法要
岡崎出身の世界的地理学者・志賀重昴(1863=文久3〜1927=昭和2=年)の百回忌法要が祥月命日の6日、岡崎市欠町の世尊寺(釈迦堂)で営まれた。地域住民ら約30人が参列し、遺徳をたたえた。(犬塚誠)
重昴は岡崎藩士・志賀重蔵の長男として現在の同市康生地区で生まれた。国粋主義を主張して雑誌『日本人』を発行。旅行家としても知られ、代表作『日本風景論』では日本人の愛郷心と風景美の結びつきを訴えた。
学者でありながら熱血漢の一面もあった。岡崎地方史研究会の上野正彦さん(72)によると、赴任先の長野県では傲慢な態度の県令(現在の県知事)に立腹し、ビール(灰洗いの水とも)を掛けたこともあったという。
古里への思いも深かった。1889年には徳川幕府の終焉で気落ちした三河の人々を奮起させようと、「三河男児の歌」を発表。市東公園の建設にも尽力したが、志半ばで他界した。1961年には名誉市民に選ばれた。
重昴の発願で建てられた世尊寺での法要では、内藤邦彦住職(81)らが読経する中、参列者が焼香して手を合わせた。百回忌を記念して直筆の掛け軸なども公開された。法要後には参列者が園内の墓所に参拝した。
主催した「志賀重昴先生没後100年記念行事根石学区実行委員会」は、2023年から重昴の顕彰に取り組んできた。園内にあるゆかりの場所をイベント時に案内したり、地域の小学生に功績を伝えたりしている。
今年は数えで没後100年、来年は満で没後100年となる。徳川家康、本多光太郎と並んで「岡崎の三大偉人」にも数えられる重昴。同会は今後、講演会や展示会の開催をはじめとしたPRを行いたい考えだ。
鈴木弘一実行委員長(89)は「大勢の方にお参りいただき、大変ありがたい。家康に比べればなかなか知られていない部分があるので、1人でも多くの人に志賀先生を知ってもらいたい」と語った。
