霊験譚知ってほしい
岡崎・能見不動尊 境内の石碑を移設
岡崎市能見町の貞寿寺(能見不動尊)で6月28日、明治時代の霊験譚を刻んだ石碑の移設作業が行われた。境内の西側に立っていたが、近年は傾きが進行。背後への転落を防ぐため、台座ごと前方に移された。(犬塚誠)
石碑に記されているのは、1882(明治15)年12月15日の出来事。出漁中に伊勢湾に落ちた西浦村(現蒲郡市)の漁師・尾﨑太郎右衛門が能見不動尊の本尊・不動明王に助けられた逸話とその場面が刻まれている。
言い伝えでは、太郎右衛門は海で行方不明になり、一週間後に葬儀が営まれた。すると、能見不動尊から電報が届き、太郎右衛門が能見不動尊に滞在していることが判明。親族がかごを担いで迎えに行き、連れ帰った。
太郎右衛門は「遭難した時に空からお不動様が出てきて、投げ縄で助けてくれた。有名な神仏を巡拝した後、能見の不動さんに着いた」と説明。子どもたちは不動明王への感謝を込め、資金を出し合って石碑を建てた。
この石碑に詳しい今済寺(西尾市一色町)の大島隆獅住職(79)によると、個人の宗教体験を表現した石碑は全国的に見てもまれ。質素な暮らしをしていた漁村の庶民が資金を集めて建立した点も貴重という。
逸話は太郎右衛門の地元・蒲郡では語り継がれてきたが、岡崎での知名度は皆無。石碑の存在も忘れ去られていた。最近では後方に傾き出し、石材店からも「危険」と言われたため、大島住職が私費での移設を決めた。
この日は大島住職や太郎右衛門のひ孫に当たる尾﨑和弘さん(61)=蒲郡市=が見守る中で、移設作業が行われた。石碑は高さと幅が各約2.7メートルで、重さは約8トン。25トンクレーンでつり上げ、3メートル前方に移した。
大島住職は「時間の問題だった。石碑が落ちて割れてしまえば、宗教的文化遺産が失われてしまう。移設をきっかけにして、岡崎市民にも太郎右衛門の逸話や石碑の存在を知ってもらいたい」と期待を込めた。