江戸時代の排水機能
幸田 深溝松平家墓所で新発見
幸田町深溝の本光寺境内にある国指定史跡「島原藩主深溝松平家墓所」の東廟所で行われている発掘調査でこのほど、江戸時代の水口(排水口)が見つかった。町教育委員会の担当者は「江戸時代の土木技術が分かる発見」としている。(酒井希実)
町教委によると、本光寺は深溝発祥で江戸時代に島原藩(現長崎県島原市)を治めた深溝松平家の菩提寺。6~19代当主を埋葬する東廟所は、歴代当主の墓を建てるために江戸時代から昭和初期にかけて徐々に山を削って拡張したとされる。1945(昭和20)年1月の三河地震や2008(平成20)年の8月末豪雨といった災害で倒壊と復旧を繰り返しているが、いまだに復旧されていない部分も多い。
町教委は同所で20年度から史跡整備のための発掘調査を継続。これまでの調査では石垣の外側で昭和初期の排水口が見つかったため、本年度は石垣の内側にもあるとみて調べていた。そしてこのほど、江戸時代に建てられた石垣の最下部の石を長方形にくり抜いた水口2基を発見。雨天時に墓所内が浸水する状況を想定し、排水機能を整備していたことが明らかになった。現在は内部も埋まっているが、本来は石垣の外に通じ、水が流れ出るようになっていたとされる。担当者は「今後は水口を復旧してかつての機能を復活させ、排水状態の改良を目指す」としている。
また、今回の調査では倒壊した石垣の現状確認と復旧も進めている。崩れずに残った石垣の基盤となる根石から、石材の種類が花こう岩から幡豆石に切り替わっている部分を発見。絵図などで分かっていた廟所の拡張を裏付ける発見となった。
同所は常時拝観できる。6日まで調査が行われている。