槐多が“消えた”
岡崎市美術館常設展 大幅前倒しで終了
槐多が“消えた”―。岡崎生まれの詩人で画家の村山槐多(1896=明治29=〜1919=大正8=年)。岡崎市美術館本館1階に設けられていた槐多らの紹介コーナーがこのほど、突如として姿を消した。開催されていた常設展示も、「2024年3月31日まで」という当初の予定を大幅に前倒しして終了。担当者は「常設展示は村山槐多専用ではない」とするが、顕彰機運の低下が懸念される。 (犬塚誠)
詩人・画家
紹介コーナーは、槐多研究の第一人者でもある村松和明前館長(今年3月に定年退職)が着任した2021年度に開設。初期から晩年に至るまでの代表的な絵画や詩などの資料を複製し、創作活動の軌跡が分かるようにしていた。槐多に関する書籍が読めたり、映像が視聴できたりする一角もあった。昨年11月5日〜今年3月26日には、直筆の油彩画5点を月替わりで1点ずつ展示する連続企画を実施。出生地に関して論争があった槐多が「岡崎生まれ」であることを周知する役割も果たしていた。
昨年の市議会12月定例会では、野本篤議員(自民清風会)が槐多について質問。「市の所蔵作品の常設展示を検討しては」という問いに対し、安藤治樹社会文化部長(当時)は「昨年から美術館で村山槐多の短くも情熱的に生きた22年の生涯が市民の皆さまにご覧いただけるよう、複製作品による展示をしている。まずは岡崎の文化財産として、今後市民の皆さまにより親しんでいただけるよう、広く発信していきたいと考えている」と答弁していた。
紹介コーナーの“最終日”となったのは今年10月15日。同18日に記者が訪れた際には、コーナーが封鎖されており、入り口の看板も床に下ろされていた。
同館に事情を聞くと、「常設展示スペースは郷土ゆかりの作家の作品をまんべんなく紹介する場所。市美術館では村山や(岡崎出身の画家である)山本鼎以外にも作品をずっと集めている。新しい物が入れば、市民に公開するのが使命」と主張。槐多を顕彰する市内の公共施設はゼロになるが、「常設することが顕彰ではない。没後や生誕といった節目のどこかの段階で、企画展はやっていきたい」と説明した。
なお、10月20日からは、碧南で生まれ、岡崎市内で亡くなった美術工芸家・藤井達吉(1881〜1964=昭和39=年)らの作品が並んでいる。市民には展示替え後から、市ホームページで周知している。
今回の件について、中根康浩市長は19日の定例記者会見で「適切な判断だと思い、了承した」と同館の意向に理解を示した。その上で、「(槐多を)市としても大切にしていかなければならない。作品の活用方法等については答えが出ていないが、これからも考え続けたい」と述べた。