岡 崎
■徳川宗家・恒孝氏が「しかみ像」寄贈
家康の自戒を形に
歴史探求の場「岡崎公園」形が整う
徳川宗家18代当主でコ川記念財団理事長のコ川恒孝さんが、徳川家康の石像「しかみ像」を岡崎市に寄贈し、像が設置された岡崎公園の家康館南側、竜の噴水広場で10日、贈呈式が行われた。しかみ像は、家康が武田軍に大敗した浜松・三方ヶ原の戦(1572年)を反省し、「しかめっ面」でほお杖をついている姿。コ川さんは、あいさつで「強いばかりでなく、負け戦をステップに次へ進んでいったことを表す像です」などと述べた。
贈呈式では同市連尺小学校児童の「五万石太鼓」演奏、目録贈呈などがあり、柴田紘一岡崎市長は「岡崎公園は徳川発祥の地です。家康公の思いが刻まれている貴重な石像を大切にします」と感謝し、コ川さんや関係者と一緒に除幕した。
家康は三方ヶ原の戦で多くの家臣を亡くし、慢心をいさめる思いから自分の姿を絵師に描かせた。これが「徳川家康三方ヶ原戦役画像」(名古屋・徳川美術館蔵)で、いわゆる「しかみ像」。
石像は三方ヶ原戦役画像を基に岡崎市稲熊町の彫刻師、小林道明さんが制作した。台座を除く高さは約127センチ。石は家康の先祖、松平家発祥の地の豊田市・松平郷で同市の次井石材が採掘した白御影石を使用。
岡崎公園には、家康生誕から没年までの道のりを物語る碑などがある。
産湯の井戸、えな塚、馬上の元康像。そして岡崎城天守閣の前に、「人の一生は」から始まり「心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。勝つことばかり知りて負くること知らざれば、害その身に至る。己を責めて人を責めるな」と続く遺訓碑。さらに天下統一後の遺言を刻んだ碑がある。将軍の政道が外れ民を苦しめることになれば誰でもその座を変わればよい―として「天下は一人の天下にあらず」と説く有名な言葉だ。
家康は、生涯最大の危機だったといわれる三方ヶ原の戦に敗れて教訓を得た。31年後の1603年1月に遺訓をしたため、翌2月に江戸幕府開府。1616年4月、駿府城で死去する直前の遺言が、いまに残る。
「家康館」に加え、今回のしかみ像の設置により戦のない世を願った家康の平和思想を知る手だてが増え、歴史探求の場・岡崎公園の形が整えられてきた。
コ川さんは「岡崎は教育に家康公のことを取り入れている。家康公作文コンクールの作品を読んでみて分かりました。しかみ像の意義を子どもたちに話してもらえるとうれしいです」と話した。
贈呈式後、コ川さんは龍城神社で「家康公が作り上げた日本の社会」と題して講演。約150人を前に、250年もの平和が続いた江戸時代の教育、領国経営、リサイクル・省エネ社会などについて語った。
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