大嘗祭に絹織物調進
大正と昭和 岡崎の三龍社が担う
きょう14日夜から令和の大嘗祭(天皇即位後初の新嘗祭)の中心的儀式「大嘗宮の儀」が行われる。大正時代には碧海郡六ツ美村(現岡崎市中島町)の水田での収穫米が献納されたことは知られているが、大正と昭和の2回、岡崎から絹織物が調進されていたことはあまり知られていない。(竹内雅紀)
岡崎市上六名町の三龍社や豊田市稲武町の古橋会の資料によると、大正の大嘗祭では古式を復活。四国阿波から「麁服」と呼ばれる麻織物、三河から「繒服」と呼ばれる絹織物を供えることになった。その伝統は現在(令和)も続いている。
同社は、1915(大正4)年7月に県知事から11月14日の大嘗祭に納品を間に合わせるよう伝達があり「戦場の騒ぎ」(同社記念誌より)に。織殿と呼ばれる特別な建物を急いで建設し、稲武で作られた繭で機織りした。28(昭和3)年には同社が繭作りから機織りまで担当。同社は84年に製糸部門を廃業したため、平成と令和は稲武が担っている。