村山槐多 没後100年特別展
岡崎・子美博 128点を初公開
22歳で早世した岡崎市出身の画家、村山槐多(1882―1919年)の没後100年にちなんだ特別企画展「没後100年 岡崎が生んだ天才 村山槐多展」が6月1日から、おかざき世界子ども美術博物館で開かれる。初公開の128点を含め、同館や全国の美術館など10館が所蔵する作品計約250点が一堂に会する。7月15日まで。(横田沙貴)
村山槐多は同市花崗町で誕生。中学校教師だった父の転勤に伴い、1歳で高知市、4歳で京都市に移り住んだ。9歳から絵を描くようになり、13歳で京都府立第一中学校に入学すると詩作にも取り組んだ。母方のいとこで画家の山本鼎に14歳で才能を見出され、画家になるため18歳で上京した。
19歳で「アニマリズム」と呼ばれる、原色を多数使用し、荒々しい筆遣いで情感のある特徴的な画風を確立させた。結核性肺炎で夭折するまでに「尿する裸僧」「バラと少女」「信州風景」などの多くの絵を残したが、画家として活動したのはおよそ5年間で、現存作品は貴重だという。
同展では、槐多の人生をたどるように、4章に分けて作品を展示。初めて公開されるのは、京都府立第一中学校時代の同級生の遺族らが所有する油絵や水彩画、パステル画など。写実的なタッチで描かれた作品が多く、基礎技術を磨いていたことがうかがえる。また大半がパステル画で、当時は画材の定着液がないため、槐多が独自の画材の定着方法を考案していたことも判明した。
槐多の絵画などを研究する同館副館長代行の村松和明さん(56)によると、性格は優しく、同級生にも慕われていたという。槐多は上京前に同級生に絵を渡しており、同級生やその遺族らの意向で門外不出だったが、没後100年の節目ということで村松さんが出品を依頼し、承諾を得た。
村松さんは「槐多の作品に対して『怖い』というイメージを持つ人もいるが、純粋に自然や人を真摯に描いている。絵として純粋に見ると感動するものも多い。幅広い世代に目にしてもらいたい」と来場を呼び掛けている。
観覧料は高校生以上800円。小・中学生は100円。市内の小・中学生は無料。
問い合わせは、同館(53―3511)へ。