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東海愛知新聞

吉政築造を裏付け

岡崎城の天守台石垣調査
遺物で証明 8日に現場公開

岡崎市教育委員会が初めて行っている岡崎城(岡崎公園)の「天守台石垣」の発掘調査で、石垣の基礎部分となる根石が設置されている地層から出土した遺物の年代により、1590(天正18)年に岡崎城主となった豊臣配下の田中吉政が天守台石垣を築造したとされる定説が裏付けられた。

8月20日に始まった発掘調査では、岡崎城を支える天守台石垣の南面、北面、北西面の3カ所の根元を掘削。岡崎城出入り口横の南面は、3カ所で最深となる地中約1.7メートルまで掘り下げた結果、根石の中で最大級の横約2メートル、高さ約0.9メートルの巨石が現れた。堆積(たいせき)状況から、造成と掘り込みを経て根石が設置された築造過程が確認できた。

根石が設置された地層からは、約10平方メートルの掘削で50点を超える遺物が出土。瀬戸美濃産の天目茶碗の欠片や神酒を注いだとみられる直径12センチの土師器(はじき)皿といった陶器のほか、一緒に食したとみられる魚の骨やハマグリ、サザエの貝殻もあった。陶器類の制作時期は1500年代の終わりと推定されることから、吉政が天守台石垣を築造した時期とほぼ重なるという。

また発掘の過程で、南面の根石付近では建物の柱が立っていたとみられる礎石2個を確認。天守台石垣付近で礎石を用いた建物の存在は城絵図や文献に記されておらず、立っていた建物の仕様や用途は不明という。

市教委は8日午前10時から午後2時まで、南面の発掘調査現場を公開する。午前11時からと午後1時からは説明会があり、社会教育課の学芸員が解説する。申し込み不要。少雨決行。()

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