岡崎市本宿町の浄土宗法蔵寺にある新選組局長近藤勇(1834〜68年)の首塚の台座に、同組副長土方歳三(1835〜69年)の名前が刻まれている。土方以外の新選組隊士の名前はなく、ファンの間では謎に。11日に市図書館交流プラザ(りぶら)で開かれた「岡崎まちゼミ」の講座で「台座は宇都宮城の戦い(1868年)の前に旧幕府軍メンバーが再会したことを記念した連刻石碑」という説が唱えられた。(竹内雅紀)
同市本宿町の郷土史研究家冨田武司さん(57)によると、台座は首塚と同じ御影石だが、岡崎産ではなく、茨城県の真壁産の可能性が高いという。幕末に真壁石を岡崎まで運ぶのは困難で、土方はじめ旧幕府軍14人の名前が刻まれた石が運べる範囲は下館(茨城県筑西市)辺りまでが限度。下館は宇都宮城の戦い前に土方らが立ち寄っており、宇都宮城の戦いで記載メンバーの何人かが戦死、宇都宮では宇都宮石が使用―などが真壁産の主な理由とされる。岡崎の石工職人の見解でも「これは岡崎産ではない」とされている。
幕末に現在の本宿町に陣屋を置いたのは柴田勝家の末裔。柴田家は元禄の国替えにより、領地が多摩・入間(東京都〜埼玉県)から本宿・宝飯(岡崎市〜豊川市)に移動。旧領地には近藤や土方の出身地が近く、14代将軍徳川家茂が上洛時には、将軍のお供をした柴田家江戸屋敷の柴田能登守と、土方らは随行したとみられる。
京都で交流があった旧幕府軍メンバーが下館で再会し、記念写真代わりに石碑が彫られた。それが近藤の首塚の台座になった。石碑建立者は柴田家江戸屋敷隣人の内山勝行。ただし、いつどのように石碑が法蔵寺に運ばれたかは不明という。
冨田さんの講座は、りぶらで21日午後2時30分から。定員50人、受講料100円。申し込みは、冨田さん(48―2999)へ。