東海愛知新聞バックナンバー

 9月23日【水】

屏風「三河一向一揆」

来月から岩津天満宮で展示
岡崎の柄澤さん 歴史検証などの契機にと期待

岡崎市中岡崎町のペン画家・柄澤照文さん(66)が同市岩津町の岩津天満宮余香殿なおらいで制作している屏風「三河一向一揆」が完成間近だ。昨年夏から準備を進め、今年4月から同所で本格的に制作に取り掛かっている大作。家康公400年祭の節目の年に戦国時代の岡崎の俯瞰図に取り組み、残すは仕上げのみ。10月から2カ月間、同所に展示する。(竹内雅紀)

徳川家康が岡崎城を居城としていた22歳のころにあり、家康を半年間苦しめた一向宗との戦いが舞台。江戸時代後期の書物『参州一向宗乱記』などを参考にした。柄澤さんがライフワークとしている「塩の道」作品は江戸時代後期が主な舞台のため、それ以前の時代を描くにはさまざまな下調べが必要だった。学芸員に話を聞いたり、講演会に出掛けたり、発掘調査の資料を読んだり、現地に足を運んだり…。「何も知らないところからスタートした。なるべく分かりやすく描きたいと思い、いろいろと調べた。塩の道ができる前の時代を調べることができた貴重な機会だった」と振り返る。

屏風のサイズは、8枚合わせると幅が6.4メートルにもなる(高さは1.7メートル)。原寸大の下絵は6月に完成。その後、パネルへの転写に移り、竹ペンで輪郭を描き、アクリル絵の具と金箔で着色した。光の当たり方次第で上下に散りばめた金箔の表情が変わる。

約半年間の出来事を巨大な屏風に集約した。そのため、家康が何カ所にも(10人以上)登場し、描かれた武将や門徒らは300人をはるかに超える。一揆の拠点となった本宗寺、激戦区の上和田砦などのほかに、対極的に平穏な暮らしをする庶民も描いた。西は刈谷、南は西尾、東は舞木、北は豊田までのエリアをカバーしており、壮大さに圧倒される。右隅には山中八幡宮に伝わり、一向宗の追っ手から家康を救ったとされる逸話「鳩ヶ屈」の白鳩2羽も描かれている。

柄澤さんは「歴史の専門家は私が描いた俯瞰図の間違いを指摘するかもしれない。しかし、この屏風を見た若い人たちが当時の岡崎を調べたり、歴史の検証をしたりするきっかけになればと期待している。私の作品はあくまでたたき台」と主張する。

9月いっぱいは制作風景も公開している。入場無料。水、木曜は定休。午前10時〜午後4時。問い合わせは、なおらい(45―1144)へ。

柄澤さんは来年の岡崎市制施行100周年に合わせて、大正5(1916)年前後の岡崎の街並みを屏風に描く。制作は中町の長誉館で4月ごろから予定しているという。