岡崎公園内にある石碑「アラモの碑」の建立100年を祝う催しが15日、同碑前などで行われた。日米友好の証しにと大正時代に製作された碑の前で、集まった有志ら20人が先人をしのんだ。(竹内雅紀)
アラモの碑は龍城神社の東側、岡崎城本丸御門跡にある。新城市の長篠城跡から運んできた御影石製で、高さ72センチ、幅50センチ。大正3(1914)年に岡崎市出身の地理学者志賀重昴が建立した。
同年、米テキサス州サンアトニオ市を訪問した志賀は、1836年の「アラモの砦」の闘いで厳重な包囲網をくぐり抜けて自軍への救援を伝えるために奔走した勇敢な兵士の存在を知った。この兵士を、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が激突した長篠の戦い前に、長篠城から岡崎城まで命懸けで援軍要請をした鳥居強右衛門に重ね合わせた。
徐々に関係が悪化しつつあった日米間の友好関係を創出するために両国の国民が分かりあえる証拠として、大正3年7月に岡崎公園内、11月にサンアントニオ市のアラモの砦跡に同様の石碑を建てた。
終戦記念日のこの日は、岡崎公園内で開いた岡崎戦没者慰霊祭に参加した人たちがアラモの碑前で拝んだ。アラモの碑100周年記念実行委員会の柏原文男実行委員長(57)=岡崎市井田学区総代会長=は「アラモの碑については多くの市民が知らないと思う。郷土愛を深めるために今後も続けていきたい」と話し、来年以降も継続的に参拝をする意向を示した。