岡崎市美合町の徳応寺で9日から15日まで、昭和31(1956)年当時の同市男川小学校5年生48人が描いた「原爆の図」の模写絵が公開される。都路尚裕住職(54)は「絵から過去の過ちを忘れず、今ある原発問題と合わせて、『命』にかかわる問題としてとらえてほしい」と話している。(今井亮)
模写絵が生まれたきっかけは当時の児童らが何気なく発した、原爆を他人事のように批評する言葉だった。児童らの言葉に戦慄を覚えた担任教師は“原爆画家”として知られる丸木位里さん、俊さん夫妻の大作「原爆の図」の画集を見せ、恐ろしさを教えた。
広島に原爆が投下された直後、爆心地近くの実家に足を踏み入れた夫妻が描いた凄惨(せいさん)な描写の数々に、児童らは「原爆の恐ろしさを広め、犠牲者を慰霊しよう」と模写を決めた。画材にこと欠く中、約2年かけて1〜2畳に相当する大きさの模写絵11点を残した。
しかし、模写の途中に教育関係者に止められ、11点のうち1点は描きかけ。当初は、さらに多くの模写を予定していたとみられる。
行き場を失った絵を引き取ったのは、都路住職の祖父で先々代の精哲住職。絵に込められた児童の思いや願いをくみ、戦後40年に当たる昭和60年から毎年公開している。
13日からは、幼少時に刻まれた模写絵の印象から、報道の道に進んだ都路住職の二男・一海さん(23)が勤務するフォト月刊誌「デイズジャパン」で掲載された、東日本大震災の報道写真20点を合わせて展示する。午前8時〜午後6時。