岡崎市中島町の塗装業・矢頭眞治さん(53)が、東日本大震災の被災地で2度、ボランティア活動を行った。今も残る大量のがれき。将来への不安を抱えながらも、遠くから来たボランティアに気さくに話しかけてくれる被災者。「がれきの撤去には、まだまだ人手が必要。来月も行きたい」という矢頭さんらに話を聞いた。(大津一夫)
最初は4月16日深夜に出発。友人2人とワゴン車にタオル500枚、軍手5を積み込み、福島県いわき市へ。被災地に入ると、道路に地震によってできた段差があり、車が大きく揺れた。
現地のボランティアセンターに登録。紹介された海岸沿いの住宅で、流れ込んだ泥を撤去した。
友人が帰ったあと、矢頭さんは1人で車に寝泊りした。食事は自炊したりコンビニで弁当を買ったり。銭湯を探して、岩手県まで片道約30キロを走ったこともある。8日間の活動を終え、帰岡したのは23日だった。
阪神・淡路大震災でもボランティア活動をした矢頭さんは、「阪神・淡路では建物が残っていたが、今回は建物だけでなく街そのものがなくなっていた。規模がまったく違う」と話す。「最初に被災地を見たときは、あまりの被害の大きさに涙が出た」
2度目は6月11日から18日までの8日間、幸田町荻の農業・草次重勝さん(57)ら3人で、宮城県気仙沼市で活動した。
海岸から1キロほど内陸に入ったところでも、斜面にがれきが散乱していた。集められたごみを分別したり、火葬場を清掃したりした。
テントを持参し、ボランティアセンターの敷地内で生活。3日目からは、自衛隊が設けた避難所の風呂を使わせてもらった。
学校で避難生活をしている人たちとも親しくなった。ある漁師は「地震の直後、漁船を避難させるために海に出たら、巨大な津波が壁のように迫ってきた。高さが30メートルもある津波を突っ切ったが、仲間の半数の船が行方不明になった」と話した。
矢頭さん、草次さんは「家や仕事を失い、将来に不安を抱いている中で、私たちに『ご苦労さまです』とあいさつする被災者の姿に感動した」。中には当時の状況を語りながら、「大変でした」と涙を浮かべる人もいた。「皆さん、私たちと話すことで心がなごむようでした」
矢頭さんは「まだ手付かずのがれきの山がいたるところにある。海の中にはもっと多くのがれきがあるはず。ボランティアの数が減り、手数が足らない」と心配する。
さらに「大震災から100日以上が経過しているのに、政府の復興への計画が見えていない」と指摘。「がれきの撤去を早急に進めるとともに、被災者の心のケアが必要と思います」と訴えている。