財団法人伝統的工芸品産業振興協会(本部東京)の平成20年度表彰者が決まった。地域の伝統産業の技術向上や発展、後継者の育成などに功績のあった人たちを顕彰するもので、今年度は全国で計86人。岡崎市内では、三河仏壇の大竹勇さん(65)=坂左右町、石彫刻師・倉田五夫さん(65)=稲熊町、三河木綿の高木宏子さん(69)=竜美西一=の3人が表彰される。表彰式は4日、東京都内のホテルで行われる。
15歳で仏壇彫刻の世界に入り、半世紀を迎えた。きっかけは「近所に仏壇彫刻をやっていた人がいて、興味があったから」。5年間修業を積んだ後、20歳で独立。平成9年には伝統工芸士に認定された。
1つの仏壇を彫るのにかかる期間は約1カ月半。この道50年の職人でもデザインには気を使う。板の大きさや形を考えて描かねばならず「大変です」と笑う。主に龍、雲、獅子、天女、花などをデザインして彫る。商売道具の彫刻刀は約100本。握り具合を重視し、柄の部分を削るなど自ら調整する。
三河仏壇振興協同組合の副理事長を6年務めた。気掛かりなのは後継者不足。昨年、地域ブランドに認定された三河仏壇だが、彫刻師の数は全盛期の4分の1(15人)に。
受賞については「身に余る思い。こつこつと積み重ねたことが認められたのでは」と謙遜(けんそん)するが、「今後も切磋琢磨(せっさたくま)し、精進したい」と生涯現役の彫刻師は話している。
中学を卒業し、集団就職で熊本県天草市から岡崎市へ。「作ることが好き」で市内の石材店に就職。15歳から5年間、彫刻技術の研鑽(さん)に励んだ。
20歳の時に天草市へ帰郷し、墓石職人として約10年間働いた。灯ろう職人の兄に「手伝ってほしい」と呼ばれ、再び来岡。これを機に、彫刻師として歩むことを決めた。
34歳で独立。以来、「とにかく数をこなすことで技術を磨いてきた」と振り返る職人歴は51年目を迎えた。一方で「死ぬまで努力しかないから」とも。
注文のほとんどは仏像や地蔵。「お客さんに気に入られるように。良いものができるように」と、石と向かい合ってきた一念が「職人としての誇り」。
「仕事を支えてくれたすべての人たちのおかげ」と喜びを語り、「60代半ばだが、力を込めて頑張ろうと思います」と決意を新たに。お礼は「納得のいく仕事で応えていきたい」と言う。岡崎石製品工業協同組合員。
明大寺町にある手織三河木綿保存会の工房。糸車を回すと、「カラカラ」と、どこか懐かしい音がする。
京都・西陣で育ち、三河木綿と出合ったのは40歳代になってから。「なんて素朴で温かみのある古布なのだろう」と感激した。
復元し次の世代に伝えようと考え、「昔と同じ道具でないと意味がない」とこだわった。民家を訪ねては古くなった機織り機を譲り受け、今では工房に15台が並ぶ。
綿の木は種から育てる。初夏には黄色い花が咲き、実がはじける秋に収穫する。種を取り除き、草木で染める。「草木から色をいただく」と言う。
保存会の会員は男性1人を含め13人。毎週火曜日、会員が工房に集まって作業を進めるが、1年に織ることができるのは2反ほど。女性が多いのに、間借りしている今の工房にはトイレも水道施設もない。「あと10年頑張って、資料館を兼ねた工房を建てたい」。高木さんの目が輝いた。