岡崎の山本隆義さん
3年ぶり「鈴鹿8耐」に挑戦
岡崎市渡町、建設会社「アーキテクト」経営の山本隆義さん(46)が3年ぶりに「鈴鹿8時間耐久ロードレース」に挑戦する。四国・高松のプライベートチーム「NOI―Z(ノイズ)レーシング」のライダーの1人として、7月末の予選・決勝に向けて練習走行をしている。目標は「決勝に進出し30位以内」だ。
■時速は270キロ
山本さんが乗るヤマハの1000・マシンは「NOI―Z」が持ち込む。鈴鹿サーキットの直線コースで出すスピードは、時速270キロ超。「直線はもちろん、コーナリングのロスをいかに減らすか」と山本さん。
今年の8耐は第30回の節目。海外20チーム、国内50チーム以上がエントリーする見込み。7月26日に公式練習、27日は予選、28日は決勝チームのフリー走行、29日が決勝だ。決勝進出は主催者推薦を除き61台。
1周約5.8キロのコースを8時間で何周するか。昨年の優勝は214周だった。「今回は強い海外勢がいるから、決勝へ進出するには1周を平均2分14秒台で走らないと厳しい。3年前は16秒台(決勝39位=196周)だったから、2秒は縮めたい」
■練習は上向きだ
今年に入って毎月1度、鈴鹿で練習走行を繰り返している。先月27日は「NOI―Z」のライダー中井恒和さん(38)やメカニックらも集まった。マシンの調子も上向きになり、1周が2分20秒台。今後、タイム短縮のピッチを上げる。
「中井さんは塗装屋、僕は建築屋。業界つながりで面白いでしょ」。本番では、この2人のライダーが1時間前後で交代し、疾走する。
レースに勝つには最低2つの条件がある。マシンの性能が優れていること、そしてライダーの体力。山本さんはスポーツジムに通ってエアロバイクをこぎ、筋力トレーニングを続けている。
「時速200キロ以上ものスピードになると、上り坂から下りに入るとき、マシンの前輪が浮き上がるような瞬間がある。体重を乗せて腕で押さえつける」。真夏の炎天下のレースには、さらに持久力や代謝能力の向上が欠かせない。
■非日常的な感覚
山本さんを今年の8耐に引っ張り出したのは、3年前と同じ岡崎商工会議所青年部の仲間たち。
昨年10月、鈴鹿サーキットで商工会議所青年部の東海ブロック大会が開かれた。当時の会長、磯部亮次さんらが、青年部の1員の山本さんに「デモンストレーションで走ってほしい」と頼んだ。ブランクがあるからといったん辞退したが、仲間の要請とあっては断りきれない。
走ってみると、16歳で初めてバイクにまたがった時の感覚、レースの高揚感がよみがえった。「日常生活では味わえない“しびれ”のようなものです」。だが過去10回、8耐の決勝に進んだものの、いずれもマシントラブルに見舞われた。胸には不完全燃焼の塊が残ったまま――。
そこへ、青年部会員でモータースポーツのマネジメントをしている筒井健さん(ツツイエンターテイメント)が情報を提供した。
筒井さんは3年前と今回、チームのゼネラルマネジャーを務める。昨年の8耐の際、「NOI―Z」がライダーを探していることをキャッチしていた。
「岡崎にいい人がいる」と山本さんを推薦。山本さんは納得できるレースをしたいと腹を決めた。
■資金集めに奔走
しかし800万から1千万円の資金が要る。プライベートチームは自己資金で市販のオートバイを買い、レース用マシンに改造して参戦する。オートバイ製造会社が所有し運営するワークスチームに比べ、資金やスタッフ数でハンディがある。
「よし、お金を集めよう」。いま、山本さんは仲間たちと500万円を目指し、オリジナルTシャツを作る一方、スポンサー探しに奔走中。
穏やかな口ぶりと柔和な表情。だがネクタイを外し、革製のつなぎに着替えて手袋をはめ、ヘルメットをかぶると、46歳の肉体に宿る“レース魂”が赤々と燃え上がる。
◆“ワークスキラー”の異名
山本隆義(やまもと・たかよし) 昭和35(1960)年12月6日、岡崎市生まれ。54年、デビュー。58年に国際A級ライセンスを取得。60年、全日本選手権シリーズ第七戦250・クラスで優勝、同年、筑波フェスティバルでヤマハ所属の平忠彦選手を破って優勝した。
その2年後、世界グランプリに出場、渡英して転戦。平成2年から4年まで、タレント島田紳助さんの「チーム紳助BOBSON」に所属した。
7年のブランクを経て3年前、8耐へ。遊技場経営会社がメーンスポンサーとなり、岡崎商工会議所青年部有志が支援する「TeamAPANCLUBwithA―KIND(あきんど)」で出場。ワークスチームを度々破ってきたことから“ワークスキラー”の異名をとる。