エフエムEGAO

番組へのおたより・リクエストはこちら 763@fm-egao.jp その他 局へのお問い合わせはこちら info@fm-egao.jp

東海愛知新聞

懐かしの8ミリ映像

しかし映写機がなくて…

 平屋の木造住宅が並ぶ市街地、車体をきしませながらゆっくり走る市電、割烹(かっぽう)着姿の女性たち―。昭和30年代の岡崎市中心街が8ミリフィルムに記録されている。撮影したのは同市康生通南2の蜂須賀正夫さん(83)。「記録しておこうと撮影したのではない」が、今では貴重な資料。ただ、上映するための映写機がないのが悩み。「同好の人たちがいれば、映写会が開けるのだが」という。
 蜂須賀さんが8ミリカメラを手にしたのは昭和33(1958)年、長女が産まれたのがきっかけだった。子どもの成長だけでなく、隣近所の人たちや催しものなどや、当時は自宅がユニチカの近くにあり、工場の煙突も撮った。
 撮影したフィルムは題名を書いて保存してある。ケースには「1959年 菅生祭南康生子供連 連尺小運動会」「1962年 チンチン電車」「1977年 煙突の見える風景」などの文字が読める。
チンチン電車が走る
 このうち「チンチン電車」には、当時の市街地を走る名鉄岡崎市内線の電車が、白黒の映像で記録されている。
 ゆっくりと進む市電のすぐ前を横切るオート三輪や自転車に乗った人。途中で「福岡町から大樹寺まで乗っても10円」というキャプションも入る。また商店街の看板や、中心街の乙川(菅生川)でボートに乗って遊ぶ人たちも映っている。
 この市電は37年7月に廃止され、蜂須賀さんは線路が撤去されたあとの市街地も撮影した。
カラーも交じり30巻
 フィルムは途中からカラーに変わり、保存されているのは30巻。一部はビデオテープにダビングしたが、ほとんどは8ミリフィルムのままだ。
 「自分で撮影したフィルムが、生きているうちに見られなくなってしまうなんて」と嘆く蜂須賀さん。「もう日の目を見ることはないかもしれない」とつぶやいた。
 時代は8ミリからビデオ、そしてDVDに変わった。蜂須賀さんも5年前から、ビデオカメラで撮影した映像を、パソコンを使ってDVDに編集するのを楽しんでいる。「画像を好きなように編集していると、時間のたつのも忘れる」と笑顔になった。

ページ最初へ