江戸期の俳人
「卓池」の住居跡 ここ
立て札22年ぶりに一新
ゆかり深い岡信敷地内
岡崎市菅生町の岡崎信用金庫本部敷地内に、江戸時代の俳人、鶴田卓池の住居があったことを示す「卓池宅跡」の立て札が、22年ぶりに立て替えられた。風雨にさらされて傷みが目立ってきたため、岡信が一新させた。
以前の立て札は、昭和59(1984)年に建てられた。同金庫の前身、岡崎信用組合を創業した鶴田清重氏が、菅生鶴田家の出身で、鶴田卓池も一族の一人。昭和50年に同本部が完成して周辺の整備が完了したのに伴い、当時の市文化財保護審議会委員の田口城一氏らから、卓池の住居跡を示す立て札を立ててほしいと要望を受けた。
新しい立て札は縦81センチ、横91センチで、支柱の高さは1.1メートル。国道1号に面した表面に「俳人 卓池宅跡」、裏面に説明書きがある。
鶴田卓池(1768〜1864年)は最初、梅園に燕岡庵(えんこうあん)を結び、のちに菅生に庵を移した。人柄を慕って燕岡庵には全国から門人が集まり、「三河の卓池」「岡崎の卓池」と呼ばれ親しまれた。酒が好きで、日に7、8人の句友らが訪れ、世話をする女性は休む暇もなかったという。
「いざさらば 迎へ次第に 月の宿」の辞世の句を残し、79歳で亡くなり、岡信本部西の満性寺に葬られた。
満性寺には「かがやきの ますばかりなり けふの月」の句碑があり、岡信本部の卓池宅跡とともに、史跡を回る人たちが訪れている。