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東海愛知新聞

伝統守る「奉納花火」

例大祭 氏子らが手筒と金魚花火   菅生神社

岡崎市康生町の菅生神社で19日夜、氏子らが手筒花火と金魚花火を上げた。江戸時代から続く例大祭宵宮の伝統行事。今では盛大に開かれる岡崎市の観光夏まつり花火大会の陰にかくれた格好だが、伝統の行事を守ろうと奉賛会(市川武廣会長)と保存会(同)が毎年7月19、20日の例大祭の日にちを守って続けている「奉納花火」だ。
 菅生神社の奉納花火は、江戸時代中期の文化・文政時代に、既に庶民の祭りとして行われていたという記録がある。明治時代に始まったという金魚花火が特に有名で、かつては赤い炎の「金魚」と銀色の「銀魚」があったという。
 戦時中は中断されていたが、昭和22(1974)年に復活。30年代から40年代が最も盛んだったという。
 かつては氏子12町が1艘(そう)ずつのほこ船を持ち、乙川(菅生川)に浮かべた。現在の氏子は菅生町▽祐金町▽十王町▽康生南▽康生東▽六地蔵町▽篭田町▽本町1丁目▽本町2丁目▽本町3丁目▽連尺―の11町。「天王丸」「菅生丸」の2艘だけになったほこ船は、観光夏まつり花火大会で乙川に浮かべられ、雰囲気を盛り上げている。
 この日は、町内ごとにそろいの法被を着た氏子約30人が参加。お祓はらいを受けたあと、用意された20本の手筒に順番に点火。高さ約8メートルにまで上がる火花と降りかかる火の粉で周囲が赤く染まった。最後に「ドン」という腹の底に響く音で終わると、見守っていた人から歓声が上がった。
 さらに乙川左岸に移動し、“名物”の金魚花火を川に向かって打ち込んだ。金魚花火はいったん水に沈み、水面に浮かび上がると華やかな炎を上げて水面を照らした。
 花火を見守っていた市川会長は「けがのないよう、安全に伝統の行事を引き継いでいきたい」と話していた。
 本祭の20日は、神事が行われた。

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