エフエムEGAO

番組へのおたより・リクエストはこちら 763@fm-egao.jp その他 局へのお問い合わせはこちら info@fm-egao.jp

東海愛知新聞

「二七市」が50周年

通りで「結びつきの碑」除幕    岡崎市八幡町

庶民の台所をあずかる青空市場として人気がある岡崎市八幡町の二七市通りで27日、50周年の記念モニュメント「結びつきの碑」が除幕された。昭和30(1955)年12月に始まってから2と7の付く日に開催。通りに沿って並ぶ露店では、にぎやかな掛け声と品定めをする市民の声が飛び交う。この50年間で二七市が開かれたのは延べ約3,600回になり、「1万回をめざして頑張りたい」と関係者は意気込んでいる。
 記念モニュメントは、市の石製品買い上げ事業の一環。高さ約3メートル。風になびく帯が中央の玉に結びつくようにデザインされ、上に八幡町のシンボルになっている「向かいハト」が乗っている。50周年にちなみ、台座は5段になっている。事業費は250万円。
 除幕式は地元の八幡町(市川喜浩総代)と八幡町発展会(岩附實会長)が主催。買い物客が見守る中、モニュメントが除幕され、総合的な学習で二七市を取り上げている地元の連尺小学校の4、5年生約50人が「八幡町の歌」を合唱して花を添えた。
 八幡町は家具など「職人の町」として栄えた。戦後、闇市が立ち、区画整理が始まる前に健全な市場を整備しようと二七市が始まった。
 二七市通りは正式には市道八幡町2号線。延長約230メートルの通り沿いに店が並ぶ。
 当初、集まったのは約20店。発展会では二七市部会を組織し、自転車で西尾市や幡豆郡まで出かけて、出店者を募集したこともあったという。食糧難の時代に人気を集め、46年から開店中は車を締め出し歩行者天国になった。60年代から平成の初期には200店を超えた。
 しかし、郊外への大型店の進出や出店者の老齢化とともに“空き店舗”も目立つようになり、現在の登録は約百店になった。
 発展会の岩附会長は「中心街では二七市は松坂屋(岡崎店)とともに2大“ブランド”」と胸を張り、「50周年をみなさんに祝ってもらい、ありがたい。今後は出店者の老齢化が最大の課題。ここには生鮮野菜から衣料品までなんでもあります。さらに親しまれる二七市をめざして努力したい」と話す。

 「200店以上が並んだときには、すれ違うのにも難儀した」と話すのは、発足当初から二七市にたずさわり、自らかばん店を経緯している高井保さん(79)。
 「かつては夜明け前から仕込みの準備をする人がいたり、戸板に安売りの案内を書いたりした」と振り返り、「二七市は、店の人と買い物客の会話が魅力。常連客とのおしゃべりを楽しみにしている人も多いですよ」という。
 この日も通りには自転車が並び、「きょうは何が安いかね」「みんな安いよ。50周年の記念日だからね」などと、会話が弾んでいた。

ページ最初へ