きょう岡崎市民会館
“ダット号”生みの親
南中劇で「橋本増治郎」
妹の孫の孫・犬塚さんも出演
岡崎市南中学校の3年生がきょう12日、同市民会館で開く文化祭で「郷土の偉人」を題材にした「南中劇」を披露する。32回目の今回は、日本初の国産車「ダット号(後の日産自動車・ダットサン)」の生みの親で、校区出身の「橋本増治郎」。上演時間75分の劇では“夢の国産車”を完成させるまでに彼や家族、仲間たちが乗り越えてきた苦労を再現する。
昭和49(1974)年から毎年、役作りや運営などをすべて3年生が行う伝統劇。同校は4年に1度、於大の方(徳川家康公の生母)や世界的地理学者の志賀重らと並ぶ岡崎の偉人の1人として、増治郎の人生を劇で紹介している。
劇に携わるのは3年生343人中、文化部を除く120人。うち48人が4場面構成の劇に登場し、72人が舞台、大・小道具、衣装係を担当している。先月中旬に校内オーディションで配役を決め、昔から残る台本の練り直しなどを経て、今月4日からけい古を重ねてきた。
出演者の中で、今年は増治郎の妹・節(せつ)役を、節の孫の孫に当たる犬塚智美さん(15)が演じる。自宅にあった増治郎の伝記を、小学6年生の時に読んだという犬塚さん。節の孫である祖母、文子さんからも話を聞いていたという。
犬塚さんは「祖母から『(増治郎は)偉大な人だった』と聞いていました。自分が節役に決まったのは運命と思う」と話し、演技については「特に意識していないけど『妹』として、東京の大学へ進学する増治郎と岡崎駅で別れる悲しさの表現に力を入れたいです」と意気込んでいる。
その別れ際に撮影した写真が現在も親族の家に残っており、文子さんら家族も劇を楽しみにしているという。
準備が大詰めを迎えた10日は、衣装や道具をそろえ、生徒たちが最後の校内けい古に力を入れた。終盤では、三河人を鼓舞する漢詩「三河男児歌」を元にした「南中・三河男児の歌」を全員で合唱する。
開演予定時刻は午後1時25分。入場無料。
橋本増治郎 明治8(1875)年4月28日に柱村(現在の岡崎市柱町)に生まれる。明治28(1895)年に東京高等工業学校(現・東京工業大学)機械科を卒業。7年後に当時の農商務省の海外実業練習生として渡米し、ニューヨーク州オーボン市の蒸気機関製造工場で働く。
帰国後勤めた九州の炭鉱会社「九州炭鉱汽船」社長の田健治郎と役員の竹内明太郎、同郷の友だった青山禄郎の3人の資金援助を得て、明治44(1911)年、国内初の自動車メーカー「快心社」を設立。度重なる資金不足の苦難を乗り越え、大正2(1913)年に完成した初の国産車第1号には田、青山、竹内の3人の頭文字を取って「ダット(DAT)」と命名した。その後も自動車や発動機などの研究を続け、昭和19(1944)年1月18日、70歳で死去した。