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東海愛知新聞

科学者の目で随筆集出版

本宿の自然と歴史
岡崎の倉橋さん

岡崎市本宿町の倉橋克典さん(65)が父祖の地、本宿町の自然・歴史・民俗を科学者の目でとらえた随筆『私の知る 本宿の歴史と科学』(B5判、299ページ)を出版した。見開き2ページに1話を収めるかたちで全百話。「関心のある項目から読んでいただければ」と話している。
自然の中で
 倉橋さんは昭和14(1939)年、東京生まれ。同20年3月、父親の実家のある本宿町井ノ口に移り住む。本宿小、東海中から岡崎高校へ進み、同41年、名古屋工業大学大学院を修了。その年、名大空電研究所(現名大太陽地球環境研究所)に入り、平成15年3月、定年退職するまで専門の電気磁気現象の理論研究に携わった。
 その間、子どものころから両親を助けて農業に従事。両親が年老いてからは、休日などに妻の昭子さんと農業を続けてきた。定年後は、ますます農作業に費やす時間が多くなった。
先人の知恵で
 そのなかで倉橋さんが感じたことは、本宿の自然環境がどんどん変化して「自然とその中で育まれていた多くの先人の足跡を失うことになった」ことだという。
「村の鍛冶屋」には、父祖の代から使っていた鍬や備中を修理してくれていた鍛冶屋さんが廃業に追い込まれ、技術が継承されなくなってしまったことへの憤りと淋しさが語られている。
 また、「苗代作り」「田の草」「稲架」など米作りの作業を通して自然の変化を見つめ、積み上げられてきた先人の知恵や技術、精神が消えていくのを惜しんでいる。「養蚕」や「家畜」についても取り上げている。
 本宿の歴史に関する話も多い。
 「元宿・常左府・帝鎮講」では、鎌倉時代の三河の守護一色氏の盛衰をたどりながら、本宿の「トコサブ」も豊川の「トコサブ」と同じ一色氏の守護所であったと推論する。
 同じように、「龍芸上人と親氏」では、法蔵寺の龍芸上人が徳川家の初代親氏と親交があったのではないかと未公開文書も使って独創的な論を展開している。梅原猛の『水底の歌―柿本人麻呂論』を思い出させる項だ。
科学者の目で
 「伊勢神宮領(上衣文)」「山中古城址と隠れ矢」「西行の頃」など、古文書の解釈にこだわらず、残された歴史事実を集め考察していく方法は、倉橋さんが科学者として身に付けたものだろう。
 「蜆(しじみ)」「蛍」「燕」「酸性雨」などでは、動植物や気象の変化のようすを通して地球環境へ警鐘を鳴らしている。
 「祇園祭の起源」「餅い」「狐つき」「結婚」など風俗習慣や「子供の遊び」「鰻捕り」など子どもの生活に触れた思い出話も多い。
妻の協力で
 執筆は定年退職後に始め、3年ほどで書き上げた。妻の昭子さんがパソコンで活字にして、いとこの印刷所で千部作り、市図書館や地元の小中学校、知人などに贈った。
出身校の岡崎高校からも図書館に置いて閲覧できるようにしたいと連絡を受けたという。
 倉橋さんは「失われたものを元に戻すことはできないが、せめて今あるものを記録して残しておきたかった。若い人たちがこれを読んで、これからの本宿や自然の大切さについて考えてくれたら」と話している。

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