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東海愛知新聞

94歳で初句集「山科」

「松籟」会員の大須賀さん(京都)

岡崎市両町出身で、京都市山科区に住む大須賀スミさん(94)が、句集『山科』(A5判、98ページ)を刊行した。
 大須賀さんは明治44(1911)年生まれ。昭和4(1929)年、岡崎高女(現岡崎北高)を卒業して東京の薬学専門学校に入学したが事情があって中退。7年には大須賀勇夫さんと結婚。18年、夫が戦争に行くことになり岡崎に戻った。
 夫の死後、62年に浅井浚一さんの墨彩画教室で絵を学び始めたのをきっかけに、翌年には松籟俳句会に入会。趣味の生活を楽しんでいた。
 平成2年末、同居していた三男堅居さんの転居に従って京都市山科区に住むことになったが、俳句だけは止めたくないと浅井さんの指導を受けながら「松籟」へ投句を続けた。
 浅井さんは序文で、大須賀さんについて「岡崎を離れてから14年、毎月2回計40句を一度も欠かさず投句してきた。その熱意と精進に頭が下がる。スミさんの俳句には、若々しさがあり、個性的な視野や視点によるユニークな表現が見られる。また、細やかで豊かな詩情があり魅力的だ」と書いている。
 句集の冒頭には、岡崎時代の展覧会や吟行の写真が載せてあり、大須賀さんの思いの深さを知ることができる。
作品に岡崎への思い
 俳句は岡崎時代(昭和63年〜平成2年)を一期とし、以後の京都時代を三期に分けてまとめてある。
 「寂かにも光陰過ぎし黄水仙」―夫の死後過ぎ去った日々をふと思い出している大須賀さんの心中がよく分かる。
 「うららかやほのかに甘き椀の湯葉」―嫁に連れられていった湯葉料理の店で、嫁の優しさに胸を熱くする大須賀さん。
 「啓蟄や背伸びして干す濯ぎもの」―春の日差しのもとで干し物ができる健康な自分に感謝している大須賀さん。  
本には岡崎市在住の弟・永田亘さんと妹・本多八重子さんが、それぞれ一文を寄せている。
 大須賀さんは先月28日、実家の墓参りで岡崎を訪れ、開催中の浅井さん一家の「家族展」を鑑賞し話に花を咲かせていた。
 大須賀さんは「気恥ずかしい思いで句集を出したが、みなさんから感想をもらい、今は感謝している。年をとってからふるさとを離れた寂しさを俳句で癒やすことができた。浅井先生のおかげです。これからも自然にふれ、俳句を愛して過ごしたい」と話していた。

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