命と平和のメッセージに署名
おかざき匠の会万博会場から発信
命日に記念イベント
愛・地球博に出展している「おかざき匠の会」(上野房男会長、会員41人)が17日、万博長久手会場の地球市民村・大地の広場で「命と平和のセレモニー」を開いた。この日が徳川家康の命日であることにちなんだイベント。特別ゲストの徳川記念財団の徳川恒孝(つねなり)理事長(65)と、駐名古屋大韓民国総領事館の柳聖杰(リュソンコル)領事(50)が、匠の会が用意した「命と平和のメッセージ」(別掲)に署名。400年の時を超えて、岡崎と韓国を結ぶ新たな歴史をつくった。
徳川家康は、豊臣秀吉の朝鮮侵攻で途絶えた朝鮮との国交を回復、朝鮮通信使招聘(しょうへい)への道を開いた。徳川理事長は、家康から数えて18代目。柳領事は、李氏朝鮮の領議(りょうぎ)政(せい)(いまの総理大臣に相当)だった柳成龍(リュソンリョン)一族の子孫で、2年前に来日し初の任地が名古屋。
イベントは、家康の子孫と朝鮮“総理大臣”の子孫が初対面する場になり、柳成龍(1542〜1607年)が家康と同年に生まれたことも巧まざる演出となった。
徳川理事長は「岡崎は家康公が苦労しながら人間として成長する基本となった町。私たちは韓国から多くのことを学んだ。岡崎の方々はいま、こうした交流の場を作り大事なことを進めている」と話した。
また、柳領事は自筆の文書を読み上げた。学生時代に山岡荘八の長編小説『徳川家康』を読破、家康の平和の理念に感銘を受けたとし、「ここで徳川恒孝さんと会ったことは感慨深い」。いま日韓間に諸問題はあるが、「戦争のなかった江戸時代に学び」、世界に平和への思いを発信する意義を述べ、2人は固い握手を交わした。
初対面までには、幾筋もの底流があった。
徳川理事長は、一昨年5月から岡崎市美術博物館で開催された「徳川将軍家展」の開会式に列席。また昨年11月、記念財団が企画した「第1回徳川家康公作文コンクール」の表彰式・講演会で、匠の会の例会場でもある長誉館(岡崎市中町)を訪れ、今年2月には六所神社で開かれた講演会に来ている。
柳領事は、朝鮮通信使をテーマにした劇団わらび座のミュージカル「つばめ」の岡崎公演(昨年3月)前後、2度にわたり長誉館で匠の会のメンバーらと交流した。
こうしたなか、匠の会は家康の平和思想「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」を基に万博出展の海外パートナーとして「韓国伝統工芸匠人会」の五人を招き、両氏の対面とメッセージの発信を企画した。
17日は「家康」「朝鮮通信使」「岡崎」「万博」「匠」がキーワードになり、底流が新たな歴史の流れとなった“記念日”。
上野会長は「民間レベルでの平和外交だと思う。日韓匠の出展により現代の朝鮮通信使交流になった」と話した。
イベントは午後5時から行われた。会員の小山三郎さんが作った鏑矢(かぶらや)による「世の魔を祓はらう儀式」に始まり、「厭離穢土 欣求浄土」旗の掲揚、神明太鼓「響」の演奏、韓国太鼓、詩の朗読と続いた。
メッセージ署名のあと、籠田町長持ち練り込み保存会が持ち込んだ手筒状の花火などを会員の花火師が上げ、フィナーレは日韓の太鼓競演で締めた。