東海愛知新聞バックナンバー
 9月14日【日】
岡崎で展示会
市電が走っていた町
沿線の5商店街が企画

岡崎市本町通三、ヒラノ看板特設会場で13日、「市電の走った町並み写真展〜昭和の元気展」が始まった。今も「電車通り」の名前が残る沿線の5商店街が企画。かつてのにぎわいを振り返ると同時に、「市電が走っていた町」をキャッチフレーズに、将来は商店街に関連したグッズの販売などを予定している。23日まで。

主催は、岡崎明大寺商店街振興組合▽岡崎銀座商店街振興組合▽本町晴明ストリート▽殿橋通発展会▽能見北発展会。

この5商店街では3年前から2カ月に1回、A4サイズの「電車どおり瓦版」を発行。商店街の話題や観光スポットを載せて買い物客に配っている。

今回の展示会は、商店街の存在をアピールしようと、今年4月から準備。日本路面電車同好会会員の藤井建さん、ペン画で知られる柄沢照文さん、デザイナーの生田薫さんのアドバイスを受け、企画を進めた。

岡崎の市電は、明治21(1888)年に開業した官設鉄道(現在のJR)が始まりとされる。最盛期には大樹寺〜福岡町を結び市民の足として親しまれたが、昭和37(1962)年6月で姿を消した。

会場には、昭和30年代を中心に、市街地を走る市電の写真18点を展示。廃線直前の36年当時の住宅地図も拡大して掲げられ、訪れた近くの市民が「この家は今でも残っている」などと話し合っている。

連尺通りからやって来た男性(76)は「廃線が決まったころ、愛用の8ミリで市電と車内、沿線の様子を撮影し、今でもフイルムが残っています。当時、市電に乗って家族で名古屋などへ行ったことを思い出します」と懐かしんでいた。

また本町晴明ストリート理事長で、会場になっているヒラノ看板の平野光祥さん(57)は「廃線当時、私は中学生でした。市電が走っているころは何とも思わなかったのですが、今となっては懐かしい。当時は沿線にたくさんのパチンコ店があり、大人が市電に乗って遊びに行ったと聞いたことがあります」と振り返る。

グッズも試作

会場には、柄沢さんがデザインした日本手ぬぐいと、本多平八郎忠勝や、亀と家康遺訓などの人形も並ぶ。同商店街は今年度、県と市から「がんばる商店街」の指定を受け、来年度以降、商店街の歴史を題材にしたグッズを作り、販売も予定。その試作品として展示した。




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