東海愛知新聞バックナンバー
 6月15日【日】
岡崎市滝町
明治初期の「登り窯」出土
県埋蔵文化財センター調査
「誰が、なぜ」解明へ

岡崎市滝町で滝町古窯の発掘調査が行われ、14日までに明治時代初期のものと推定される「登り窯」のたき口が見つかった。表面に顔を描いた陶器も見つかっており、調査を実施している県埋蔵文化財センターでは「明治期の窯業関連資料は少ない。誰が、どうしてここに築いたのかという不思議を解明したい」という。29日午前11時から、常磐学区市民ホームで説明会がある。

■常磐学区市民ホームで29日、説明会

現場は滝町入山の県道南大須鴨田線北側の斜面。昔から周辺で陶器の破片が見つかっていたが、登り窯があったことはほとんどの人が知らないという。急傾斜地崩壊対策事業が行われるため、同センターが5月7日から約400平方メートルを対象に発掘を始めた。

これまでに見つかったのは、登り窯の最下部に当たるたき口周辺。焼けて赤くなったり、こげて黒くなったりした土が見える。たき口のすぐ上には「狭間孔(さまこう)」という炎の通り口が6つあり、比較的小さなものだったことが分かった。

現地では毎日、同センタースタッフと地元の人たち約20人が調査に当たっているが、調査に参加している町内の女性は「こんな近くで登り窯が見つかり、びっくりしています」と感激した様子だった。

周辺からは焼成のための窯道具や、幕末から明治にかけて家庭で使われた「広東碗(かんとんわん)」「端反碗(はそりわん)」と呼ばれる磁器が多数出土し、登り窯が使われていた時代が推定できた。

窯道具に顔の絵

出土品の中に、積み上げて焼く場合に使われる「エンゴロ」と呼ばれる陶器のふたに、顔の絵が描かれたものが見つかった。直径12.7センチ、厚さ1.8センチの片面に、ほぼ中央で分けた髪、小さな点のような目、大きめの鼻、ほほ笑んでいる口が描かれ、あごの輪郭は描き直したのか四重になっている。

同センター職員は「陶工職人が、いたずらで描くという話は聞いていますが、とても珍しい。失敗した焼き物に描いたのでは」と話している。

新編岡崎市史・総集編によると明治初期、新しい殖産興業の機運が高まる中で、京都から陶工の永楽和全を迎えて甲山焼きが始まり、弟子たちの中には岡崎や名古屋、瀬戸などで焼き物を続ける人もいたという。

このため同センターでは「こうした人たちとの関連も否定できない」として、「この登り窯に関して知っている人がいたら教えてほしい。ほかの窯跡との関連も調べたい」と話している。

29日の説明は、出土品とスライドを使って解説する。現地は急斜面のため見学はできない。





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